川遊び、IchigoJam、動物園と平和について

2025-06-23 電子工作 政治 /posts/2025/2025-06-23-takachiho-river-at-takaharu.jpg

土曜日の午前中は、保育園に子どもを預かってもらい、平日の間に終わらなかったタスクを集中して進めます。お昼からは高原町の河原(たかはる清流ランド)に川遊びに。6月だけどもう十分暑いですね…蝉も鳴いてるし。

日曜日は月に1回の電子工作ワークショップ。前回からプログラミング色を前面に出して、IchigoJamメインの構成にはしていますが、半分くらいの参加者は電子工作系の課題を希望されます。頭の中で考えた(シミュレートした)挙動が現実の世界に反映される瞬間がやっぱり本質的な楽しさの源泉を含んでるからなんじゃないかな、という気がします。とはいえ、この閃きが一発で動くというのが実は意外に難しくて、現実には電池の接触が悪かった…電池の電圧が下がってた…部品をショートさせて焼き切れてた…などの理由で「正しく配線したのに動かない!」ということがちょこちょこと発生します。あと、テキストの間違いもありました…(ごめんなさい!)。そういうのも、みんなであーだこーだと仮説を立てながらクリアできていく過程として楽しめるかどうか、が大切になってくると思います。Facebookの通知で気づいたんですが、電子工作ワークショップを始めてからもうすぐ1年経つんですね!あっという間…。当初の予想通り(?)脱線してプログラミング講座の側面も出てきているんですが、うまく組み合わせて面白いこと出来ないか引き続き画策中です。

午前中に雨が通り過ぎた様子だったので、午後は動物園へ!雨の後のせいか、人が少なく、ゆったりと見て回ることができました。年間パスポートのおかげで半日でも気楽に行けるのは、ありがたいです。

七夕の短冊に長男が書いた(書いてと頼んできた)言葉は「せかいがへいわになりますように」。ウクライナ、パレスチナ、イランなどに関連した物騒なニュースが次々と入ってくるのを子どもながらに見聞きして何か感じたところがあったのかもしれません。しかし、仮に日本人全員が一致団結して「戦争をやめよう!」と叫んだところで、国際情勢に1mmも影響は及ぼせないだろうな、という気はします。規模が大き過ぎる、ということよりも、家族や自分の家がミサイルで吹き飛ばされたままの状態で、よそから来た誰かに「はいはい、ここでお仕舞いです!」なんて言われて「わかりました」ってなるはずが無いだろう、と想像してしまうからです。そうした怨嗟の連鎖を力で押さえ込むしか平和は実現し得ないと考えると暗澹としてきますが、考えても仕方がないので、もっと身近な「平和」にフォーカスするしかないのかもしれません。

自分が生きてきた40年の間に価値観が多様化して(というか元々あった多様性が表出して、に近いのかも)色んな考え方を持つ人が周囲に観察できる状態になってきました。最近だと選択的夫婦別姓制度導入に対するスタンスなどが象徴的で、反対派の人たちとは前提にしている世界観が違いすぎて、どれだけ議論をしたところで意見が一致することは無いだろうと思います。「平和」を志すということは、そういう異質な他者(向こうから見たら自分もそう)とも、それなりにうまくやっていく妥協点を探り続けるという途方もなく面倒な作業を延々と続けることです。分断を煽って(=外部に敵を定義して)結束を強める、という方法の方が簡潔明瞭なので、ついそちらに流されがちですが、安易にそこに堕ちない思考力を育む意味でも、電子工作とかプログラミングって悪くないかもしれませんよ?と唐突に営業に戻って締めたいと思います。

「Think like an engineer」が出来る子どもたちを増やすことが一縷の希望につながると信じています。

高千穂(田植え)→高鍋(プログラミング)