ちょうど昨日で、一連の高校生向けの授業が一段落したところで、これから開発中心モードに戻っていけそうです。「△△ならば○○する」という仕事を自動化出来る幅はますます広がりつつあり、導入の敷居も下がっていることを感じます。より大きく歪(ひずみ)が見えて来ているのは、「みんな働く」ことが前提の社会のあり方なのかなぁ…という気がします。(女性は家庭に!とか、そういうアホな意味でななくて、社会参加の尺度は年収だけじゃなくてもっと多義的になれるはず、ということです)
自動化は歓迎すべきことです。私たちが自動化を歓迎できないのは、仕事がなければ死んでしまう社会に、私たちが住んでいるから。それこそが問題の本質です。 小飼弾の超訳「お金」理論
この話を思い出すきっかけになった投稿(要ログイン)。終わったら電話をかけてくれる機能を持った洗濯機。