もくもく会

2021-01-14 日本語

「あれは○○の真似だね」っていう評価をする人が苦手です。「パクり(模倣)」と「インスパイア(触発)」の間に明確な線を引くのって中々難しくて、今ここでこうして喋っている言葉だって、どこかで誰かが言ってることと同じかもしれません。

ほとんどの文章(会話)はどこかで読んだ(聞いた)ことがあるフレーズの真似です。たまに昔読んだ本や自分の文章を読み返してみると、それがよく分かります。インプットを十分に増やして、どこの誰の真似をしているのか、平均的な人間には簡単に見破られないようにするしか、有効な対策は無いように思えます。実はこれこそがインテリジェンスの正体だったりして。 https://lumber-mill.co.jp/notes/blogs/121030_diary.html

プログラミングも同じで、少なくとも自分が今まで書いてきたコードって、教科書やウェブサイトに書かれているサンプルのコピー&ペーストの塊です。なにか一つの例題をそのまま使っていたら「パクり」と評されても仕方がないけど、沢山の情報源からの「パクり」を組み合わせて、新しい一つのシステムを組み上げたら、それは「沢山パクった」ことになるのでしょうか?あるいは、どこからパクったか誰も分からないから「独創的」な作品と見做されるのでしょうか。

ここの境界線を探ることにエネルギーを使いたくないな、という思いはあります。なるべく沢山インプットをすること、何かを引用したり参照する場合に、その対象への敬意を忘れないこと、これくらいの原則を持ってやっていければと考えています。